
順天堂の看護は明治6年(1873年)、佐藤尚中によって東京・練塀町に私立病院が開設された時に始まりました。このとき大学東校(今の東大医学部)で看護婦取締をしていた杉本かねが佐藤尚中に誘われて、順天堂の看護婦取締に就任しました。
初代看護婦取締、杉本かねは順天堂看護の基礎を作り、日赤の正規の教育を受けた2代目の大久保晃子看護婦取締は、看護婦教育を開始し順天堂看護の方向性を明確にしました。1873年に始まった順天堂の看護のその後の135年の歳月は、日本の近代化、医療の急激な進歩発展と共に、時代の要請に応じて大きな変化を遂げてきました。
順天堂の看護を年代毎に次のように区分してみました。
- 順天堂で初めて看護婦として活動した初代杉本かねから、2代目大久保晃子、3代目後藤米子らにより看護の基礎を創った時期。
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明治39年に竣工した順天堂本館
明治39年に新築した順天堂病棟内部
- 4代目長谷川こうの時代で、大正4年の看護婦規則の布告や関東大震災により順天堂医院が全焼し、病院の近代化の基礎を創った時期。
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看護学生(大正6年)
昭和8年 ユニフォーム
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- 1.第一期 昭和21年
- 総婦長制度が導入され、23年には保健婦・助産婦・看護婦法が制定され、看護婦の業務と責任が法律で明確になった時期で、看護が組織的に活動する基礎創りの時期。
- 2.第二期 昭和30年
- 看護課として診療部に属していたが、看護の独自の機能の模索時期であり、補助看護婦が導入された。
- 3.第三期 昭和37年
- 看護課が診療部の所属から、管理部の所属となり、基準看護の導入への努力と看護体制創りの時期。
- 4.第四期 昭和47年
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総病床数が937床となり、昭和51年には看護部長制となった。看護の計画的実践と看護職員の質を向上させるための院内教育の体制創りの時期。
昭和40年代 - 5.第五期 昭和59年
- 順天堂創立150周年記念事業の本館建設の準備から、現在まで。
看護部の理念・基本方針・看護体制の確立と目標管理の推進。患者さんの満足度を高め、根拠のある看護の推進。個々の看護職員の総合的・専門的実践能力の向上の推進。
