詳細な説明
研究の背景と経緯
ミトコンドリアは、細胞内のエネルギー産生工場というべき細胞小器官であり生命活動維持に必要なエネルギー(ATP(注7))の95%を産生しています。ミトコンドリアの機能異常が起こるとATP産生が低下し、結果として全身の臓器障害、即ちミトコンドリア病を引き起こすことが明らかにされています(図1)。ミトコンドリア病の治療としてこれまでビタミン剤の内服などが行われてきましたが、その臓器障害は進行性で有効な治療薬がなく早期の治療法の発見が望まれていました。またミトコンドリア病患者の難聴以外にもミトコンドリアの機能異常は加齢性難聴、騒音性難聴、薬剤性難聴に関与する事が知られており、WHOによると65才以上の人口の30~40%が難聴によりハンディキャップを有しているとされますが、治療薬がないのが現状です(図2)。
東北大学大学院医学系研究科および大学院医工学研究科の阿部高明教授らのグループはこれまでにミトコンドリア病の新規治療薬MA-5の開発を行ってきました。MA-5はミトコンドリアの内部構造(クリステ(注8))を維持する重要なタンパク質であるミトフィリン(注9)に結合し、ATP合成をする酵素の複合体の重合を促進する事でATP産生の効率を高める新しいメカニズムをもつ化合物です(図3)。
研究グループはこれまでにMA-5がミトコンドリア脳筋症・乳酸アシドーシス・脳卒中様発作症候群(MELAS)、リー脳症、レーバー病、カーンズ・セイヤー病など100人のミトコンドリア病患者の皮膚培養細胞の生存率を上昇させ、MA-5をミトコンドリア機能異常マウスに投与すると心臓や腎臓の機能異常が改善し、生存率も向上させることを明らかにしてきました(参考文献1、2)。また各種マウス難聴モデル(加齢性難聴、騒音性難聴、薬剤性難聴)を用いてMA-5がそれらの聴力を改善する事を明らかにしました(参考文献3)。さらにiPS細胞を用いた技術で内耳細胞を作製しMA-5は内耳細胞のATPを増加させ細胞を活性化することを見いだしました(参考文献3)。この結果からMA-5はミトコンドリア病患者の各種症状の改善とともに難聴の治療薬となる可能性が示唆されました。
MA-5はこれまでに国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)ムーンショット型研究開発事業の支援を受け、健常人を対象とした第Ⅰ相臨床試験(注10)が終了し、健常人における安全性と薬物動態が確認されています。
研究の内容
今回東北大学の阿部高明(あべたかあき)教授、順天堂大学大学院医学研究科小児思春期発達・病態学/難治性疾患診断・治療学の村山圭(むらやまけい)教授、東北大学病院耳鼻咽喉・頭頸部外科の本藏陽平(ほんくらようへい)講師らのグループは難聴を有するミトコンドリア病患者を対象とするMA-5の医師主導、プラセボ(注11)対照、二重盲験、多施設参加型探索的第Ⅱ相臨床試験を、順天堂大学と東北大学を中心に全国4施設(順天堂大学医学部附属順天堂医院、東北大学病院、東京医療センター、自治医科大学附属病院)において実施します。期間中は難聴を有するミトコンドリア病患者に異なる量のMA-5またはプラセボを服用して頂きます。治験期間中はどちらを服用しているかは患者も担当医も知らされません。治験では安全性を確認しながらミトコンドリア病患者におけるMA-5の薬物動態と各種症状に対する治療効果を追跡するともに、聴力に対する有効性を探索的に評価します。今後の展開
本治験により、MA-5が現在治療法のないミトコンドリア病に対する新たな治療薬になる可能性があります。また、ミトコンドリア病患者の難聴だけでなく加齢性難聴、騒音性難聴、薬剤性難聴の治療薬への適応が期待されます。
更に将来的には加齢によるミトコンドリア機能低下に伴い生じる各種疾病(サルコペニア、認知症、パーキンソン病、アルツハイマー病、脳梗塞、慢性腎臓病)の発症予防や治療につながる薬への開発が進むことが期待されます。